湖北・福井の旅
2006年 07月 26日
20日の4時半に出発して湖北・福井に出かけてきました。
岐阜から福井・滋賀に抜ける道が前日までの大雨の影響でことごとく閉鎖されているというアクシデントもありましたが、8時過ぎには最初の目的地姉川古戦場跡へ。姉川の戦いは織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が1570年に戦った場所です。今は、森に囲まれ当時の様子を窺い知る事は出来ません。その後浅井氏3代の居城小谷城跡へ。
本丸を見たく登っていきましたが、あまりの急勾配(当たり前ですが・・・。)だったため途中で断念。それでも出丸までは登りました。全体の3分の1も行っておりませんが良い眺めでした。良い城です。
その後は無理言って福井まで行ってもらいました。
福井への目的は、一乗谷館(朝倉氏)と北の庄城(柴田氏)を見る事と越前そばを食べる事でした。一乗谷は朝倉氏5代が織田信長に攻め滅ぼされるまでの約100年本拠地にしていた場所で、中世城下町を発掘し、復元した国指定史跡です。当時は将軍家が足をのばしてやってきたりして栄華を究めた面影は感じられませんでしたが、下手に城や館を復元させて雰囲気を壊すくらいならそのままの状態を維持していったほうが色々創造できて楽しい。その後は北の庄城を一心不乱に探しましたが探しきれず替りに福井城の石垣を眺めてきました。残念
昼ごはんは、そばを頂くつもりでしたが、ソースカツ丼で有名なヨーロッパ軒さんの看板を見つけ方向転換。薄くスライスしたロース肉にパン粉をまぶし、揚げたカツをウスターソースベースのタレをかけた御飯にのせたカツ丼です。すっごくまろやかで美味しかったです。
豊臣秀吉と柴田勝家が信長の後継者の地位をめぐって戦われた賎ヶ岳の戦い。歩くと1.5㌔の所を急勾配のリフトでぴゅーと頂上付近へ。ロープに滑車がひっかかっているだけの感じで結構ドキドキしました。頂上から見た琵琶湖は最高でした。
その後は磯野山・山本山と旧浅井家臣団の居城跡を通過して名古屋へ。
当初の目的だったそば、北の庄へは行けませんでしたが、「功名が辻」所縁の地巡りと自分ののルーツ探しが出来て大満足な旅でした。
岐阜から福井・滋賀に抜ける道が前日までの大雨の影響でことごとく閉鎖されているというアクシデントもありましたが、8時過ぎには最初の目的地姉川古戦場跡へ。姉川の戦いは織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が1570年に戦った場所です。今は、森に囲まれ当時の様子を窺い知る事は出来ません。その後浅井氏3代の居城小谷城跡へ。
本丸を見たく登っていきましたが、あまりの急勾配(当たり前ですが・・・。)だったため途中で断念。それでも出丸までは登りました。全体の3分の1も行っておりませんが良い眺めでした。良い城です。
その後は無理言って福井まで行ってもらいました。
福井への目的は、一乗谷館(朝倉氏)と北の庄城(柴田氏)を見る事と越前そばを食べる事でした。一乗谷は朝倉氏5代が織田信長に攻め滅ぼされるまでの約100年本拠地にしていた場所で、中世城下町を発掘し、復元した国指定史跡です。当時は将軍家が足をのばしてやってきたりして栄華を究めた面影は感じられませんでしたが、下手に城や館を復元させて雰囲気を壊すくらいならそのままの状態を維持していったほうが色々創造できて楽しい。その後は北の庄城を一心不乱に探しましたが探しきれず替りに福井城の石垣を眺めてきました。残念
昼ごはんは、そばを頂くつもりでしたが、ソースカツ丼で有名なヨーロッパ軒さんの看板を見つけ方向転換。薄くスライスしたロース肉にパン粉をまぶし、揚げたカツをウスターソースベースのタレをかけた御飯にのせたカツ丼です。すっごくまろやかで美味しかったです。
豊臣秀吉と柴田勝家が信長の後継者の地位をめぐって戦われた賎ヶ岳の戦い。歩くと1.5㌔の所を急勾配のリフトでぴゅーと頂上付近へ。ロープに滑車がひっかかっているだけの感じで結構ドキドキしました。頂上から見た琵琶湖は最高でした。
その後は磯野山・山本山と旧浅井家臣団の居城跡を通過して名古屋へ。
当初の目的だったそば、北の庄へは行けませんでしたが、「功名が辻」所縁の地巡りと自分ののルーツ探しが出来て大満足な旅でした。
by y3197032
| 2006-07-26 00:06
| ぶらり旅(関西)